きっと、私がお空に我が子を送る度に「後悔は1つもない」といっている事に不思議に思う人も居るかもしれないけど、これはね本当に後悔してることが無いの。
うるふに関して後悔してない理由は
出来得る限りのことは全てやりつくしたから
もっと言うなら、全力でうるふの14年と3ヶ月半を愛しぬいたから
とにかくうるふを愛しました。
毎日うるふに前日よりも更に恋をしました。
毎日惚れました。
毎日心を通わせました。
毎日沢山触れ合いました。
毎日色んなお話しをしました。
毎日手間を掛けました。
毎日お世話出来ることに感謝しました。
そう、愛する我が子と「普通の日常」を沢山重ねました。
二人三脚状態で肩を並べ、足並み揃えて時を同じ歩幅で歩いてきました。
正直言ってしまえば、一ヶ月前にうるふが強めの癲癇発作を起して右半身が麻痺した時に、もしかするとこれからの日々は善行の多かったうるふへ神様からの「ボーナスタイム」なのかもしれないと思いました。
あの時の癲癇様発作は、命を絶たれても不思議はないほどの強いものだったから・・・
日々うるふが麻痺からほぼ普通に歩けるようになっていく姿を見て嬉しくなるのと同時に、一瞬たりとも命の輝きを見逃すまいと思ったのは事実です。
もし、我が子をお空に還すその時に後悔したくないと思うなら、とことん愛し、とことん真にやるべきことをやってあげてください。
目が合うだけでうるふが私に、私がうるふに何を伝えてるのか分かり合えたと思ってるのは私の自惚れでは無いと思ってます。
そしてもう1つ断言します。
うるふが幸せだったか?なんて問いかけません
だって、同じ生活を同じペースで送っていて、私がとってもとっても幸せだったんだもん。
うるふだって同じぐらい幸せを感じていてくれたなんて聞くまでもないもの。
そりゃオヤツがもっと欲しかったのに・・・ぐらいの不満をうるふが持ってるかもしれないけど、私が幸せを感じているのと同等にうるふも幸せでした。
これ言い切れるって羨ましい?
是非、皆様も言い切れるように考え方や生活を少し変えてみてください。
きっと、今よりもっと幸せな時間が沢山持てますから
愛し愛され日々暮らす大事さを
理解してくれた人は教えてくれたうるふに
ご褒美の1ポチをどうか
うるふは私や旦那を悲しませるために生まれてきて
出会って家族になったんじゃなくて
沢山の愛を、いろんな形の愛を教えてくれるために
生まれてきたと思ってます。
初七日が過ぎ、まだまだ喪失感は癒えませんが
うるふがお空から、うるふに限らずお空支部の息子達が
お空から旦那や私を胸張って自慢できるように
下を見ず空を見上げて笑って過ごしていこうと思います
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