恐らく、何人かは「息を引き取る日に病院に行かなかったの?」と疑問に思った人も居るのではないでしょうか?
その疑問への返事は「行かなかったです」
それは何故か、この時の私の思いも書き残しておこうとおもいます。
何故病院に連れて行かなかったのか
理由はいろいろ有ります
以前から、貧血に関して打つ手が無いといわれていたこと
そして、前日の土曜日の血液検査の結果を見て、ステロイドをここ二ヶ月弱ぐらい飲ませていたんだけど、本来ならステロイドを飲めば血が作られるのに、飲ませても減って行ってるのは既に骨から血液が作られていない証拠だといわれたこと
更に先生が腎臓の数値改善のために補液の提案をしてこなかたこと
つまり、あの段階で病院に連れて行ったところで何も処置が出来ないということ
それなのに、藁をも掴む飼い主の業で、病院嫌いなうるふを連れて行くのは得策では無いし、病院まで車で10分程とは言え、うるふが疲れてしまうのも得策では無いと思った
万が一、入院と言われても看取れないのは絶対にイヤだったから、自宅でお迎えが来るのを待つほうが良いと思ったのです
もし、日曜日を乗り越えられて少しでも体調が上向けば月曜日に病院に連れて行く事も出来ると思ったし・・・
何よりも、私がその日の朝に腹を括れたのは理由が有って、腎臓病の事を調べていたときにたまたま目にしたブログが有って、そこに書いて有ったのが
「ママ、みんなに教えてあげて」
と伝えてきたことがあります。
それは、
「最初から寿命は決まっているの」
ということでした。
生まれた時から、
どの飼い主さんの所へ行くのかも、
いつどのような最後を迎えるのかも決まっていて、それを自分たちは知っている、というのです。
病気になったとき、
飼い主さんが治療の選択で悩むことも、最終的にどんな選択をするのかも知っている。
飼い主さんと共に生きることになったときから、すべてを委ねているので、どんな選択も受け入れるし、飼い主さんがどのような選択をしようとも、あらかじめ決めた日がくれば、自分たちは光に帰ることになっているのだと。
寿命は最初から決まっているので、
「違う選択をしていれば、もうちょっと長生きできたかも」
というのはないそうです。
だから、後になって、こうしてあげればよかったかなと悔やんだり、悲しんだり、自分を責めたりしないで欲しいと。
そして、
動物の方が寿命は短いから、
先に逝ってしまうことが多いけれども、
一緒にいる間は、いっぱい楽しもうね、って。
光に帰った後は、悲しむよりも、共に過ごした時間を「楽しかったね」と思ってほしいそうです。
その瞬間が近いのなら、うるふが安心出来るように笑顔で、いつも通りに過ごそう
そう受け入れる事が出来たのでした
今までラテ・レーチェ・サブレを見送った時、どうしても取り戻したくて必死に生まれ変わりを探したけど、うるふの中には私が子供の頃飼っていたロンも居る気がしてて、ロンとまた巡りあえたのなら、また必ずうるふと巡りあえると確信してるから、必死に探す真似はしないでおこうと思います。
ソウルメイト
うるふと私は必ずそうだと思う
もし今世で再会できなくとも、来世でまた必ず!!
「また一緒に暮らそうね」
それもウルフが息を引き取る前に私が笑顔で伝えた言葉でした
だから、うるふをエンジェルボックスに寝かせた後に、その約束の証をうるふに持たせました
必ずまた・・・
必ずまた だよねの1ポチをどうか
ただ、うるふが生き甲斐だったから、これから何のために生き
何を生き甲斐にすればいいのか分からない
今日はうるふの初七日とラテの七回忌の法要にいってきます
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