過去にブログに書いた事が有るので知ってる人も居ると思うんだけど、私の実家は埼玉1号店の某大手コンビニでした。
お店と自宅は別の場所というスタイルです。
ただ、両親が立ち上げた店舗というわけではなく、先代オーナーさんが居て、私の両親は私が幼稚園の年長だったか、小学校に入るタイミングでオーナー資格を得て受け継いだお店でした。
私には姉が居るけど、姉は3学年上
私が幼稚園なり小学校から帰宅しても、姉には既にお友達との世界があり鍵っ子になるしかなかった私。
両親がお店を始めてすぐの頃は、父方の広島の祖母が1ヶ月とか面倒を見に来てくれたり、母方の山口の祖母が1ヶ月とか面倒を見に来てくれたりしていたんだけど、私単独で留守番が多いのは必至でした。
実家の隣の家には、私の9学年上のお姉ちゃんが居て、おじちゃんもおばちゃんも昔ながらのご近所付き合いをする人だったので、隣の家で過ごす時間も多くて、隣のお姉ちゃんも妹が欲しかったようで、凄く凄く隣の家に可愛がって貰う事が多かった私。
結婚してからも、毎年おじちゃんが手書きで年賀状を書いて送ってくれてたり、私が帰省すれば喜んでくれて。。。
ちなみに、隣のおじちゃんは元警察で893対策の仕事をしていたりで、おじちゃん自体の風貌は
(画像お借りしました)
ほぼほぼ藤原組長(ほんとソックリ)
初見の子供はビビリ上がるか泣くかの2択
私は赤ちゃんの頃から可愛がって貰ってるから一度も怖いと思った事は無い
おじちゃんがパチンコ行くと必ず勝つので、いつも実家におじちゃんから電話がかかって来て
「〇〇パチンコに居るから景品取りにこーい」って、私はおじちゃんがパチンコを辞めるまで、ドライヤーやら巨大クッションやら買った事が無かった
お正月にも隣の家で八海山を一升呑ませてもらったりもしたなぁ
とにかく、おじちゃんにとっても最後の娘みたいな存在だったんだと思うぐらいいっぱい可愛がって貰ったの。
8月の終わり頃、実家から連絡が来て何かと思ったら、おじちゃんが肺がんの末期だとのことで、それでもまだ少しは食べれたりしていたようなので、いつ埼玉におじちゃんの顔を見に帰省しようかなって考えてたの。
もう少し涼しくなってからって、10月に入ってからって思ってたのに、この3連休中におじちゃんの訃報が入りました。
昨日がお通夜で今日がお葬式です。
葬儀に参列しに帰省しようと思ったけど、コロナの影響は未だに及んでおり葬儀会館に入れる人数制限が有るのもあって、私は葬儀にもお通夜にも参加できずに不義理をせざるを得ない。
弔電とお香典は手配したけど、何も出来ない不甲斐なさ
恩を返せない無力さに自分へガッカリしています。
おじちゃん、こんな私でごめんね。
ちょっと気持ちの整理が必要だったので、今日はポメっ子ブログじゃなく自分の事を書かせてもらいました。
明日から通常ブログに戻ります
春日部に向かって合掌
おじちゃんの冥福を心の底から祈ります